emmi(エミ) > サステナブルな生き方とは?その本質を考えよう
サステナブルな生き方とは?その本質を考えよう

SDGsの意義とは?

メディアも行政もさかんに
「SDGs(=Sustainable Development Goals)」の
訴求に力を入れている今、
当初に比べその概念自体が当たり前になってしまい、
改めてその意義について深く考えることが
少なくなってしまったということはないでしょうか?

本題に入る前に、
まずはSDGsについておさらいしましょう。
SDGsとは、持続可能な開発目標を意味し、
2015年の国連サミットで採択された
「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて
記載された国際目標。

持続可能な世界を実現するための17のゴール、
169のターゲットから構成され、
地球上の誰一人として取り残さない
(leave no one behind)ことを誓っています。

SDGsは世界全体が一体となって取り組む
ユニバーサル(普遍的)なものであり、
日本も積極的に取り組んでいます
(より詳細は、「今や常識?SDGsについて
どこまで知っている?」
を参照)。

要は、人間だけではなく植物も動物も含め、
世界中の生物が今も、
そして未来もずっと幸せに生きるために
打ち出した世界共通の達成目標です。

エコバッグの推奨や、紙ストロー、
紙パッケージの導入などは、
これらの目標達成のための活動の一環です。
今回は、そんな当たり前ともなりつつある
SDGsへの取り組みの意義について
改めて考えてみたいと思います。

“世界一貧しい”大統領の言葉から
考えたいこと

2010年から5年間、
南米の小国ウルグアイの大統領を務めた
第40代ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ。
彼は、収入の大半を貧しい人々に寄付、
公邸に住むことを拒み、
愛妻と愛犬とともに小さな農場で
質素な暮らしを続けました。
その姿から、敬意を込めて
“世界でいちばん貧しい大統領”と呼ばれています。

今回紹介するのは、2012年にブラジル、
リオデジャネイロで開かれた
国連持続可能な開発会議での
ムヒカ大統領のスピーチ。
一つひとつの言葉を胸に刻み、
今の自分と照らし合わせながら、
私達はどう生きるべきかを考えながら
読んでみて下さい。

ムヒカ大統領の言葉

私達は「持続可能な発展」と
「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。
けれど、私達の本音は何でしょう?
今の発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか?

質問させて下さい。
もしドイツ人がひと家族ごとに持っているほどの車を、
インド人もまた持つとしたら、
この地球はどうなってしまうのでしょう?
私達が呼吸できる酸素は残されるのでしょうか? 

もっとはっきり言いましょう。
例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで、
70億、80億の人に消費と浪費が許されるとしたら、
それを支えるだけの資源が
今の世界にあるのでしょうか?
それは可能なのでしょうか?
それとも別の議論が必要ですか?

今のこの文明を作ったのは私達です。
私達は市場と競争社会から
文明という落とし子を生み出し、
物質面での驚異的な進歩をもたらしました。
そして市場経済は市場社会を作り出し、
それを世界規模に拡大してしまいました。

いわゆるグローバリズムです。
そのグローバリズムを、
私達はコントロールできていますか?
逆にコントロールされてはいないでしょうか?
こんな残酷な競争で成り立つ社会で、
「みんなで世界をよくしていこう」なんて議論が、
本当にできるのでしょうか?
私達は本当に仲間なのですか?

我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は、
決して環境問題ではなく、
明らかに政治の問題なのです。
人類は今消費社会をコントロールできていない。
逆に人類のほうが
その強力な力に支配されているのです。
我々は、発展するために
この地球上にやってきたのではありません。
幸せになるためにやってきたのです。

人生は短く、あっという間です。
しかし、その人生こそが何より価値あるものなのです。
余計なものを買うために、
もっともっとと働いて人生をすり減らしているのは、
消費が「社会のモーター」となっているからです。
なぜなら消費が止まれば経済がマヒしてしまい、
経済がマヒすれば不況というお化けが
我々の前に姿を現します。

しかし今、この行きすぎた消費主義こそが
地球を傷つけ、さらなる消費を促しています。
我々は今までと違う文化のために
闘い始めなければならない。
石器時代に戻ろうとは言っていません。
このままズルズルと
消費主義に支配されるわけにはいかない。
私達が消費主義をコントロールしなければ
ならないと言っているのです。

かつての賢人達、エピクロスやセネカ、
そしてアイマラ人達は次のように言っています。
「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、
もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」と。
大切なのは“考え方”です。

私の発言はみなさんを怒らせるかもしれない。
しかし気づかなくてはいけません。
“水問題”や“環境の危機”が、
ことの本質ではないということです。
見直すべきは我々が築いてきた
文明の在り方であり、我々の生き方です。

なぜそう思うのか?
私は環境に恵まれた小さな国の代表です。
けれど世界で最もおいしい牛が1300万頭、
また素晴らしい羊が800万〜1000万頭。
食べ物、乳製品、そして肉の輸出国です。
国土の90%が有効に使えるほど豊かな国なのです。

だからかつて私の仲間達は8時間労働のために闘い、
ついには6時間労働を勝ち取った人もいます。
しかし、そうなったら
今度は仕事を二つ持つようになりました。
なぜか?たくさんの支払いがあるからです。
バイクやマイカーのローンを
次から次へと支払っているうちに、
私のようなリウマチ持ちの老人になって
人生が終わってしまう。

そして自分に問いかけるのです。
これが私の一生だったのかと。
私が言っているのは基本的なことです。
発展は幸せの邪魔をしてはならない。
発展は「人類の幸せ」、「愛」、
「子育て」、「友達を持つこと」、
そして「必要最低限のもので満足する」ために
あるべきものなのです。

なぜなら、それらこそが一番大事な宝物なのだから。
環境のために闘うのなら一番大切なのは、
人類の幸せであることを忘れてはなりません。
ありがとう。

意識を変えるとおのずと行動は生まれる

いかがだったでしょうか?
資本主義の大量消費社会を、優しく、
そして力強く問う言葉
ひとつひとつに胸が熱くなりますね。

もちろん、生きるために
必要なものもたくさんあるし、
何でもかんでも我慢しなくてはいけない
ということではありません。
大切なのはこの言葉を心に刻み、
本当の豊かさについて考え、
自分自身に問い続ける姿勢ではないでしょうか。

私達は、体験的に心が動かなければ積極的、
継続的には行動できないと知っています。
行動したとしても、
それは自分の心の中に摩擦を生み、
上辺だけのものになってしまう。

心を動かす言葉や考えを
自分の中に丁寧に落とし込むことで、
結果としてそれが原動力となり、
実が伴った行動につながっていく。

背伸びをして、なんとなくよさげなアクションを
気まぐれに起こすのではなく、
地に足を着けて、
まずは自分の中の原動力の熱を
育てていきませんか?

Text - Yogini編集部

https://yolo.style/yogini/

COLUMN Yogini × emmi